投資用不動産の開発
不確実性(リスク)も高まる。この一般則に反する取引が可能な場合、裁定取引が行われ、収益率の低下またはリスクの増大が起こる。
どのような形態の投資も、不確実性(リスク)が伴う。一般に、投資による期待収益率が高い場合、
有効に使われているとはいいがたい。
それはリビングルームを接客空間とは考えていないからです。
どうやら日本人は住まいに人をよびたくない、できるだけ交際は外ですませたい、本音ではそう考える人が多数派ではないか、とぼくはおもいます。
その理由のひとつには、これまで述べたように「客には家族の姿や日常を見せたくない」という意識があります。
そしてもうひとつの理由は上がり梶ではないかとおもいます。
私たちは上がり梶で靴を脱ぎます。
日本人にとって靴は足を守るというだけではない、特別な意味があります。
かつて私たちは裸足か草履で生活していました。
文明開化の一環として靴を履くようになりましたが、当初は抵抗も強かったようです。
けれど靴は文明の証でもありましたから、人々はなかば強制的にそれに慣らされていったのです。
ですから靴は社会、あるいは近代というものの象徴でもあったわけです。
日本人が上がり梶で靴を脱ぐというのは、すなわちそこで「社会を脱ぐ」ということでもあります。
だから、いったん玄関に入ったら、そこはまったくのプライベートな空間、遠慮のいらないのびのびとした場でなければならない。
けれど客をよぶというのは相応の緊張感が必要ですし、どんな客でも家族以外の他者と関わるということは、そこに社会的な関係性が発生します。
リビングルームに客という他者が入ったとき、部屋は疑似社会とでもよぶべき空間になります。
いったん上がり梶で脱ぎ捨てた「社会」というものがそこで復活するわけですUこれが日本人には重荷なのかもしれません。
戦後、日本の住まいは広く立派になっていきました。
けれどそれとともに、訪問者がへっていくという奇妙な現象が起こります。
縁側、勝手口といった住まいの「口」が閉じられ、唯一の内と外をつなぐ玄関も、家族専用になっていく。
郊外化によって知り合いの家も遠くなり、気軽に相手を訪ねるというわけにはいかない、という現実もありますが、ともかく住まいは外部から遮断された箱になっていきます。
それと同時に、かつて住まいのなかでなされていたさまざまな催しごとも外部に流失します。
かつて結婚式は家でやるものでした。
葬式もおなじです。
出産から結婚、葬儀と、人の生から死までが住まいのなかで完結していた.現在では、それらはすべて外部のサービス産業にまかされています。
かつて冠婚葬祭は、客間と次の間の襖をとりはらい広くなった部屋で行われていました襖を取り外すことによって変化する住まいはなんにつけても便利な空間でした。
そのかわり現在の住まいには広いリビングルームがあります。
けれど冠婚葬祭を、リビングルームで行う家庭など滅多にありませんそれらはホテルや葬儀場でやるようになりました。
人生の節目、家族の節目の行事が外へ出ていったのです。
家族全員での食事も団欒もまた外部化していますしファミレスでの外食、家族旅行などがその例です。
こうして広く立派になった住まいはリビングルームを中心にして、空洞化が進んでいます。
ホームパーティも冠婚葬祭もないリビングルームには最後になにが残るのでしょうか。
けっきょくは「言葉」ではないかとおもいます。
団欒は言葉です。
家族のコミュニケーションはリビングルームで行われるものです。
だから人々は広く豪華なリビングルームやDKをつくるのです。
けれど実際にリビングルームをとびかう言葉はテレビ受像機から発生する、その家族とは無縁の音の連なりでしかない。
そういう家庭の光景はあたりまえのように見られます。
以前ならテレビは茶の間の必需品として存在し、求心力をもっていました。
一家に一台しかないときには家族みんなでテレビのスポーツ中継やドラマ、けれどいまでは「チャンネル争い」という言葉も死語になりつつあります。
テレビは一家に一台から、家族それぞれに一台となり、ついには小型の液晶テレビを持ち歩いたり、パソコンで見ることもできるようになりました。
もはやリビングルームのテレビは家族団欒の道具ではなくなり、それを目的に家族が集まるということも期待できなくなった。
こうしてリビングルームが空洞化しているのです。
リビングルームが住まいの中軸だとすれば、それは住まいそのものが空洞化したのとおなじことです。
そしてそれは家族の空洞化につながろうとしています。
かつてファミリーカーといえばセダンでした。
ここ数年はワンボックスのワゴンがファミリーカーの中心になっています。
ドアを閉じればそこは個室になります。
セダンとちがって、椅子を回転させて向かい合わせにしたり、全部倒してしまって一面を床にして寝転がることもできる。
そういう車もあります。
つまりそこは住まいとおなじです。
ぼくはこれを「走るリビングルーム」とよんでいます。
もはや住まいのリビングルームは空洞化し役割を果たしていない、家族の団欒はドアを閉じて走る車のなかでしか成立しないそういう時代なのでしょうか。
けれどそこにも、ケイタイは追いかけてきます。
家族水入らずの空間であったはずの車内にも、他者の言葉が侵入するあるいは車載テレビやヘッドフォンステレオといった機器が、団欒を邪魔するかもしれない。
けれどいっしょに「そこにいた」という事実だけは残ります。
たとえ一体感はなくとも、その事実はたいせつです。
なぜなら、それさえもない家族が増えているのですから。
そうした「走るリビングルーム」の人気は、ぼくには漂流する現代家族そのものの姿におもえてしかたがありません。
ではこのまま家族の団欒は消滅していくのでしょうか?たしかな答えはありません。
けれどいまなお人々が、住まいに立派なリビングルームをつくり、ワンボックスカーのなかで一体感を得ようとしているのは、家族の団欒と絆を求めているからにはかなりません。
私たちはやはりいまも、家族という人間関係への期待そのものを失ってはいないのだとおもいます。
かつて日本の家屋は外国人から「泥と紙でできている」と椰輸されました。
泥とは漆喰、紙とは襖や障子のことです。
けれどいまでは壁を漆喰でつくる家などなくなりました。
急激にへっていて、漆喰をあつかえる職人などはもうあまりいません。
根も障子も住まいのなかから姿を消しつつあります。
新しい家に使われるカーテンのかわりとして窓にはめこまれたり、あるいは装飾的に用いられる場合が多い。
けれど障子は、外の光をほどよくとりいれるとても便利な住まいの道具だったし、襖は簡単に取り外せます。
次の間と座敷とを仕切る襖をはずしてひと間にして、そこで葬式や結婚式をやることもできました。
けれど襖も障千も、個室という空間を構成するにはあまりに陀弱な素材です。
咳払いや話し声も隣にいい見抜け筒抜けになります。
音の遮断という点でひどくたよりないのですい住まいの変遷を考えるとき、案外、無視されているのは音です。
日本の住まいのなかにある「音」はこの百年で大きく変化しました。
家庭に電気がない時代、話し声やまな板を包丁でトントンとたたく音、といった現代からくらべるとじつに柔らかで静かな音が、屋内には多かったはずです。
畳が中心だから足音がすることも少なかったし、ドアがばたんと閉じられるような、かたい音もあまりなかったでしょう。
やがてラジオが登場し、屋内に家族以外の他者の声や音が流れるようになります。
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